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古いメソジスト教会に設けられているディストリクト・シックス博物館(District Six Museum)は、かつて様々な人種が暮らしていたケープタウン郊外の活気に満ちた生活と、アパルトヘイト時代に破壊された様子を現在に伝えています。ケープタウンにあるこの博物館は、地域社会に息づいていたスピリットを再び繋ぎ合わせると同時に、過去の出来事を多角的に解釈する機会を提供しています。
ケープタウンには過去の精神が感じられる場所が数多く存在していますが、ディストリクト・シックス博物館では破壊された地域社会の心と魂との出会いを体験できます。
市内を通るバイテンカント・ストリート(Buitenkant Street)に隣接する建物に設けられた博物館は、かつての住民が愚痴をこぼしながら、故郷をどうすれば取り戻せるのかを話し合う場所としてスタートしました。

そして1994年、この集会の場所となったメソジスト教会がディストリクト・シックス博物館として生まれ変わり、最近では隣のサックス・フテラン・ビル(Sacks Futeran building)へと拡張されています。
ディストリクト・シックス博物館, ケープタウン
この博物館に展示されている全長300メートルもの記憶の帯では、かつてのディストリクト・シックスでの暮らしに関する数千件もの証言、強制排除の悲しみ、地域社会がその後に瀕した惨状が伝えられています。
ケープタウンに設けられた6地区のひとつとして、ディストリクト・シックスは1867年に誕生しました。この地域は街の中心からも近く、街と港を繋ぐ中継点として多くの人が集まり、躍動感と彩りに溢れていました。しかし20世紀初頭に強制排除と迫害のプロセスが始まりました。
あらゆる肌の色を持つ住民、移民、職人、商人などが家を所有、または借りながら生活を営み、職場や学校、工場、娯楽施設などにほど近い便利な場所で平和に仲良く暮らしていました。
しかし1901年、全ての黒人が強制的に排除され、数十年のうちに住民のほとんどが、混血人種が占めるコミュニティへと変わりました。
ディストリクト・シックスには6万人にものぼる多くの住民が幸せに暮らしていましたが、アパルトヘイト政策下で定められた集団地域法によって、この地域は1966年に白人地域とされました。街にはブルドーザーが押し寄せ、人々は自分の家と所有物が破壊される様子を悲しく耐え難い思いで見守りました。そして住民と彼らの所有物は屋根のないトラックの荷台で、屈辱的かつ非人道的に新たな居住地へ輸送されました。この行為は南アフリカの歴史に刻まれた非常に悲しい出来事となりました。
ディストリクト・シックスは1982年には不毛の地となり、その後何年にもわたって放置されました。
やがて、この博物館は慰めの場所、忘れられた友達との再の場所、癒しの場所、として人々が集まり、過去を振り返るようになりました。
博物館は個人の記憶や形見、人の心に訴える写真などで埋め尽くされています。展示されている写真にはかつての幸せな時代、そして残酷なアパルトヘイト政策がいかにして平和な地域社会を破壊したかを伝える2通りがあります。
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